
時は1971年2月6日、東京は赤坂見附の弁慶橋を渡ったところにある、清水谷公園です。
この頃、毎月第一土曜日にべ平連(ベトナムに平和を市民連合)の定例デモが行われていました。
べ平連は作家の小田実氏らが主催する、市民団体の反ベトナム戦争の市民組織でした。
べ平連の定例デモは、反戦平和の意志さえあれば、一人でもさんかできるデモでした。
でも、やっぱり日本共産党系の人は来ませんでした。
この日は、アメリカの北爆開始6周年とラオス侵攻に反対するデモでした。

通常は、比較的にのんびりしているデモなのですが、この日はヘルメット姿の、学生、高校生も参加して、チョット過激な雰囲気です。ジグザグデモ有り、フランスデモありでした。

デモのコースは、清水谷公園ー赤坂見附ー溜池ー新橋ー数寄屋橋ー土橋というコースでした。
数寄屋橋付近です。SONYビル、東芝ビルは今も変わりありません。

我々敵のひとつ「私服」です。
彼らもカメラを持ち「証拠写真」としての写真を撮影すべく、我々にカメラを向けます。
我々も負けずに彼らを撮影します。当時、新潟地裁で「公務中の公務員は肖像権は無い。」という判決が出て、多に勇気づけられました。
「写真」は使われ方により、色々な意味を持ちます。
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