
今日は、まだ私がプロの道へ入る前の写真です。
大島渚監督の'70年の作品に「東京戦争戦後秘話」というのがありました。当時、新宿にあったATGで見たのを覚えています。
その頃、私は何をしていたのかというと、全日本学生写真連盟の下部組織、東京都高校生写真連盟という組織で写真を写していました。
東京都学生写真連盟というのは、不思議な組織で「写真」という事だけで繋がっている組織でした。新左翼の異なるセクトの人達が「写真」という事だけで、衝突もせずに繋がっていました。
杉並区、成田東に「全日本学生写真連盟会館」という一軒家を構えていました。
森山大道を知ったのも、会館にあった写真集「日本劇場手帖」(正確な名称ではありません。)でした。
全日本学生写真連盟会館には、明日からバリストに突入するという、都立立川高校の高校生がいたり、昨日、防衛庁にデモをしたという、専修大学の大学生もいたり、バリスト中の多摩芸術学園の学生がいたり、とにかく「写真」だけで繋がっている組織でした。
私たち高校生も、闘争のたびに、ゴクイリハイミオオイという救対の弁護士の電話番号を頭にいれながら、現場の撮影をし「
10.21とは何か」「
4.28沖縄デー」等の写真集を出したり、ポスターを作ったりしていました。
「報道」とは何かを考えていました。機動隊の後ろから写真を写すのか、機動隊と対峙する場所で写すのか、写したフィルムが「権力」によって守られている立場なのか、守られていない立場なのか・・・・
'70年安保が過ぎ、全日本学生写真連盟は「北海道101」という、北海道開拓101年の歴史の写真集をつくり、権力側報道機関の代表NHKに取り上げられる等の活動もしていました。
そんな、こんなの'71年の2月11日、日比谷公園の野外音楽堂で開催された「紀元節粉砕集会」に「赤軍」派が現れた時の写真です。政治の季節は終わりかけ、高度経済成長の中に日本がいました。
※年代的な誤り、記述の不正確な点も若干あると思います。お許しください。
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