今日、銀座の数寄屋橋の地下道を歩いていたら、工事現場の囲いに3枚の昔々の数寄屋橋写真が貼られていました。
最初の1枚は、1940年代後半から1950年代初期でしょうか?
「戦後すぐの名画」の「君の名は」で有名になった数寄屋橋が写っています。
アメリカ軍のバスと米兵、外国人男性の後ろ姿が写っています。
銀座・数寄屋橋のランドマーク、日劇が写っています。
次です。撮影時期は1950年代中ばでしょうか?
数寄屋橋の下の外堀が埋められたのが1958年だそうなのでその前でしょう。
フォルクスワーゲンの後ろ半分が写っています。
日本でワーゲン・カブトムシがヤナセによって販売が開始されたのが1953年なので、この写真は1953年~1958年に撮影されたものでしょう。
当時のワーゲンの販売価格はスタンダードが74万円、デラックスが80万円だったという事です。当時の国家公務員の大卒初任給が7,650円、初任給の100倍したのです。
現在は、国家公務員の一般職(本省勤務)の初任給が地域手当込みで217,240円という事なので、今だったらワーゲンが2000万円以上という事になります。フェラーリみたいです。
右の車は、トヨペット?でしょうか?
左のビルは、現在の東急プラザの前の東芝ビルの、そのまた前のビルだと思います。
こちらは、
1960年代中ばでしょうか?
現在再建築中のSONYビルあたりから撮影されています。
私の銀座の記憶はこのあたりから始まります。
数寄屋橋の下に流れていた堀が埋められて、その上に東京で初めての後に会社線と呼ばれた首都高速道路(自動車専用道路)と西銀座デパートが作られました。
2代めのブルーバードが写っています。1963年に発売なので、写真はそれ以降で、しかもブルーバードにはフォグランプが付いているので1600SSSでしょうか?
1600SSS発売は1966年なので、写真はそれ以降に撮影されたものでしょう。
そして、中目黒から築地間に走っていた都電の8系統が写っています。
この路線が廃止されたのは、1967年12月9日なので、撮影時期は1966年~1967年12月9日までの間になります。
古い写真から、色々読み取れます。
面白いです。
写真は記録です。フイルムもデジタルも関係なく、意味など考えずに写しておくことが大切です。
おまけです。
都電の最盛期、1957年の都電路線図です。
網の目のように路線があったぶです。