12年前の今日、14時46分18.1秒、東日本大震災が発生しました。
その日、私は赤坂プリンスホテルの旧館で、小説家の浅田次郎さんの撮影が終わり、浅田さんと編集者達とで雑談をしていました。
そこに地震が来ました。
写真は地震後の旧赤坂プリンスホテルの駐車場です。
揺れがおさまり、ホテルのスタッフの誘導で駐車場に旧館、別館にいた人たちが避難しました。
新館は逆光のハレーションでかすかに見えます。
正面の洋館(旧李王家邸)の中で撮影をしていました。
手前の車は当時私が使っていた車です。
ワンセグのTVが見られたので、東北がただならぬ状況だとわかりました。
今日の上と同じ場所です。
12年で、こんなに変わりました。
すっかり変わってしまいました。
震災後、その年の3月31日で建て替えのためクローズしていた赤坂プリンスホテル新館は、4月9日から6月30日まで福島第一原子力発電所の被災者を受け入れ避難所として使われていました。
その後、立て替えられ2016年に、このようになりました。
旧館は44mも曳き家工事で移動しました。
赤坂プリンスホテル旧館の向かい側の工事現場からも、工事関係者が工事をやめて、外に出て来ました。
千代田区立の名門中学・麹町中学の改築工事が行われていました。
工事は震災の翌年2012に完成しました。
現在の麹町中学のです。
かつては、千代田区立・番長小学校、同麹町中学、都立日比谷高、東大というのが、公立学校のみで東大に行くエリートコースでした。
震災後、新しい校長の下、教育改革が進められ、越境入学は年々厳しくなり、麹町中学は2020年に越境入学が廃止になったようです。
2011年3月11日当日の半蔵門です。
赤坂プリンスから、神田で編集者を下ろす為に半蔵門の前をを通りました。
その日は、こんなに大勢の人が、近所のビルから避難していました。
この後、地下鉄やJR各線が運転休止になり、帰宅は徒歩という事になりました。
今日の半蔵門です。
人はいません、その他は何も変わっていません。
九段下も通りました。
消防車両や、警察車両が集まっていました。
九段会館のホールでは、某専門学校の卒業式が開催されていて、天井が落ち、2人の死亡者と30人弱の重軽傷者が出てしまいました。
正面の赤の歩行者信号の背景になっているのが、九段会館です。
正面のビルが、この時にはすでに使用していなかった旧千代田区役所です。
九段会館では、2名の方が亡くなりましたが、東京都全体の地震による死者数は10人でした。
現在の九段下です。
三角屋根とその後ろのビルが今の九段下です。
九段会館は、外観を残しながら立て替えられました。
2022年10月にオープンしました。
旧千代田区役所庁舎は立て替えられ、九段坂病院と千代田区立高齢者総合サポートセンターになりました。
編集者を送り、スタジオに戻りました。
地下にあるスタジオはなんの被害も無かったのですが、すぐそばのビルの5Fにある事務所はこんな状態になっていました。(岩佐君撮影)
あれから12年。干支でひとまわりしました。
今年の年末も、被災地撮影に行くと思います。
そして、今日のWBCです。
先発の佐々木朗希選手は、奇跡の一本松で有名な、岩手県陸前高田市の出身です。
9歳の時に地震があり、御父上と祖母を亡くしました。
地震と原子力発電事故の3.11は、忘れてはならない日です。