僕のKodacrome  僕がNikonをやめたわけ・・・   198/365  7月15日(金)    7399

僕のKodacrome    僕がNikonをやめたわけ・・・   198/365  7月15日(金)    7399_b0069507_07061619.jpg古いNikonの200㎜レンズです。
Topcon RE superからNikonに乗り換えて、師匠の長友さんから譲ってもらった。魂の入ったレンズでした。

私が、NikonからCanonにカメラを変えたのはこのレンズにあるのです。

僕のKodacromeというポールサイモンの曲があります。
 
 コダクローム
 鮮やかな色彩を与えてくれる
 夏の緑を与えてくれる
 世界中が晴れの日だと思わせてくれる。
 ニコンのカメラで
 写真を撮るのが大好き
 だからママは僕のコダクロームを取り上げないでくれ

昔のヒット曲にも出てくるKodacromeという有名なカラーポジフィルムがありました。

僕のKodacrome    僕がNikonをやめたわけ・・・   198/365  7月15日(金)    7399_b0069507_07051692.jpg
これがKodacromeの3世代目です。
CANONはこのフィルムが正しく発色するようにレンズを作ったのです。
私が、2番目の師匠杉木さんのアシスタントをしていた時に、このフィルムを日本で唯一現像できた東洋現像所(現イマジカ)の営業が、CANONで撮影したテストポジを見せてくれました。

私は、さっそく自分のNikonに上の200㎜を付けて、Kodacromeで、テストポジと同じような被写体を写してみました。
単純にグレーのアスファルトを順光で写したのです。
結果は、CANONとは全く違い緑被りのグレーのアスファルトが写っていました。
こんなに違うんだとビックリするとともに、すぐCANONに取り換える決心をしました。

Kodachromeは1936年にKodakが世界で初めて市販した、35㎜カラーポジフィルムです。
発売当時のISO感度は10です。
私の頃にはISO25と64のKodacromeがありました。
サイズは35㎜だけでした。
Kodakには、エクタクロームというカラーポジフィルムが35㎜~11x14inchまで各種ありました。
でも、35㎜での撮影は、殆どKodachromeをつかっていました。
Kodachromeは外式という現像方法、エクタクロームは内式現像方法でした。
外式のKodacromeの方が、粒子が圧倒的に細かくて、大きくする印刷に耐えました。
そのかわり、その頃は東洋現像所でしか現像ができず、しかも増減感もできませんでした。アシスタントには緊張するフィルムだったのです。
撮影が終わると、急ぎの場合には、横浜の尻手にあった東洋現像所に持っていくと、次の日には現像があがっていました。

余談ですが、東洋現像所が現像し始める前は、香港かハワイに撮影済みフィルムを送っていたのです‼ 私はその頃をしりません。😅
1976年にケン・モリさんとハワイでロケした時には、ホノルルのABCストアで、午前中にコダクロームの現像をだすと、夕方には現像ができているのには、ビックリしました。

1988年のソウルオリンピックの頃には、現像は堀内カラーとロイヤルカラーでもできるようになっていました。
また、フィルム感度もISO200のフィルムとサイズはブローニーも発売されました。
増感現像もできるようになったと思います。
でも、時すでに遅しで、富士のベルビアに代表されるフジクロームの世の中になっていました。

ナショナル・ジオグラフィックのフォトグラファー スティーブ・マッカリーさんが2010年に最後のコダクロームを写す、感動的な記録のThe Last Roll of Kodachromeをご紹介します。







by mash_boss | 2022-07-16 08:49 | カメラ | Trackback | Comments(2)
Commented by reica_az at 2022-07-17 09:09
素晴らしい動画を見せて頂きまして
感動しています。有難うございました。ご活躍をお祈りいたします。
シルバーアマチュア―、歴6年。78歳
Commented by mash_boss at 2022-08-08 08:09
ありがとうございます。

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