実は、六本木のアートセンターというレンタルスタジオの別館だった建物です。
2週間前、柄にもなく「青春の街」として広尾をこのブログに書きましたが、六本木も青春の街なのです。
フォトグラファー長友健二さんのアシスタント時代、毎日のようにアートセンターに通いました。
別館時代は「担々麺と餃子」の看板部分がAstudioの入り口でした。
昨日、東京ミッドタウンの富士フイルムのギャラリーへ行った帰りに、寄り道をしてみました。
アートセンターは日本のレンタルスタジオの草分け的存在で、本館と別館に分かれていて、2002年に閉鎖されました。
独立して、何年かはタレントさんが表紙の2つの雑誌の撮影をしていて、何回も使ったのですが、やがて仕事の種類も変わって、広告系の撮影になり、もっと大きなスタジオを使うようになり、閉鎖の随分前にはアートセンター通いは終了していました。
別館はこうして残っていましたが、本館跡は周囲の建物も含めてすっかり変わり、全くわかりませんでした。
建物のどこかにスタジオの面影はないかと、キョロキョロしたら、外付け階段を上がった扉にB studioの文字が・・・
よく残っていました。
アートセンターは、多くのフォトグラファーを輩出しました。
あの頃一緒に働いたスタジオマン達はどうしているでしょう。
フリーになり、アートセンターにもお世話になるようになり、その頃手伝ってくれたスタジオマンの何人かはAPAの会員として再開しました。驚き懐かしかったです。
そして、社長の三浦波夫さんはフォトグラファーの先輩で、若い人を応援していました。
1970年代後半には、アートセンターイベントスペースというギャラリーもお持ちでした。
フリーになりしばらくして、そのギャラリーで最初の個展「First & Last」という写真展を開催するチャンスに恵まれました。
会場費は無料、プリント代も援助していただいたように記憶しています。
ノスタルジックな土曜日でした。
アートセンター跡に行く事になったのは、この写真展を見たからです。
六本木のフジフイルムスクエアーで開催中のJPSの会員佐藤仁重さんが主宰する「丸の内写真倶楽部」の写真展です。
アマチュアパワー全開の写真展でした。