
泊まったホテルは、ヨドバシカメラマルチメディア仙台のお隣でした。
朝は、少し遅く9時に出発。
まずは、野蒜に向かいました。

さて、被災地を撮影する時に頼れるのは、Yahooのカーナビやナビタイム、グーグルマップ等のNetで地図が更新されるカーナビのみです。
今でも、被災地の道は刻々と変わります。
他のカーナビでは、地図の更新が追いつきません。

このところ、一番最初に行く旧JR野蒜(ノビル)駅です。
この建物は、倒壊しませんでしたが、被害を受けた仙石線が山の上に移設したので、残ったプラットホームと一緒に「震災復興メモリアルパーク」になりました。
昨年までは、建物の半分はコンビニでしが、今年の2月に閉店したそうです。
そのわけは、復興工事も一段落して、働いていた人達が減った事です。
工事現場の「ライフライン」的役割を果たしていたコンビニですが、工事現場の人が減ると採算が取れなくなる・・・ それほど人がいないという事です。
大きな防波堤や土地の造成工事は終わりましたが、人々が暮らす「建物」は、高台に移設されたりして、戻ってきていないのです。

復興メモリアルパークから、直線距離で300m程の野蒜海岸です。
今では、巨大な堤防の向こう側になってしまいました。
年末だからでしょうか、ご家族で海に向かってご供養をなさっているようでした。
震災の前、APA・公益社団法人日本広告写真家協会の東北支部大会が野蒜にあった「かんぽの宿」で開催されました。松林ときれいな海岸が印象的でした。
震災当日、東京でTVニュースを見ていたら、野蒜のかんぽの宿が津波に飲まれる映像が流れているのを見てショックでした。そんな事があり、最初に野蒜に来ます。

巨大な堤防の上に一本の松の木がありました。
この松が「奇跡の一本松」くらいの大きさに育った頃には、このあたりは、どんなになっているのでしょうか?

74人の児童と10人の教職員が、津波で犠牲になった石巻市立大川小学校です。
今年の10月「最高裁第一小法廷は、市と県の上告を退ける決定をした。震災時の避難誘導の過失に加え、震災前の津波対策についても学校側の過失を認め、遺族側が勝訴した二審仙台高裁判決が確定した。」というニュースが流れました。
今年初めて「小さな命の意味を考える会」のお話をお聞きできました。
一瞬の判断の大切さや、硬直した組織の問題点等々日本の社会の縮図のような問題が、大川小学校の犠牲にはあったようです。
大川小学校跡は震災遺構として残る事が決まりました。

本日は、気仙沼泊です。
〜流す涙で割る酒は
騙した男の味がする
あなたの影をひきずりながら
港、宮古 釜石 気仙沼〜
1969年のヒット曲・港町ブルースの一節です。
高度成長期のこの時期、気仙沼は遠洋漁業の基地として、賑わっていたのでしょう。
今は、港は賑やかですが、駅前は寂しいです。
震災後はなおさら・・・

ホテルの周りには何もないので、夕食はホテルのレストランで「さんまつみれ鍋」
予想以上に美味しく、うれしくなりました。
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