今日は平成最後の終戦(敗戦)記念日です。
私の小中学校や大学の頃に比べて、はるかに報道量が少なくなった終戦記念とその前の戦争報道です。
日本の若い人で、終戦記念日を答えられない割合が増えているのもむべなるかなです。
近所にマルクス・レーニン主義国家とは名ばかりになってしまった北朝鮮や覇権主義的になった中国がある以上、緊張状態にならざるを得ない日本です。
それだけに、日本一番の平和主義かもしれない天皇のお言葉は肝に銘じる必要があります。
「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
平成最後の終戦記念日の天皇のお言葉です。
私の父は海軍の砲術学校出の下士官でした。もう10年ほど前に他界しましたが、戦争の話はあまりしませんでした。
・上海陸戦隊にいた時に「犬と支那人は入るべからず。」の看板があった事。
・中島飛行機事件という、当時の日本共産党が摘発された事件に連座して軍隊内で捕まった時に、取り調べた大学での中尉が「日本は負ける」と言っていた事。
・アメリカ軍の飛行機を撃ち落とすと、嬉しかった事。
・駆逐艦の対空機関砲の指揮官だった時に、撃ち落としたアメリカ軍パイロットのレスキューキットを見てびっくりした事。
・同じく駆逐艦に乗っていた時に、砲撃を受け、気がついたら隣にいた水兵の首が無かった事。
・乗っていた駆逐艦が撃沈され、南鳥島に駐留していた時、食料が無くて、猫やトカゲを食べた事。どういう訳かワカマツだけはたくさんあっtので、腹の足しに食べたら、後でかえって腹が空いた事。
・南鳥島には、毎日アメリカ軍のB24が飛んできて、写真撮影をするアメリカ軍人の顔がはっきり見えた事。
・引き上げ船の船長が、若干20数歳の士官で何百人の命の生殺を担っていた事。
・南鳥島で結核になり、横須賀に帰る病院船で途中アメリカ軍に臨検されて、緊張した事・・・
・復員して、もらった勲章を猫の首に付けていたら、とられて帰ってきた事。
父がする戦争の話は、カッコいいものではありませんでした、時系列もハッキリしませんが、それだけにリアルに感じました。
戦争に行った結果として、父は「音」に敏感で夜でも変な音がすると、起きていました。自分の身をまもる習性としてが身についたのでしょう。
平和はあって当たり前のものでは無いように思う今日このごろです。
今日の午後は、9月9日(日)に開催される、ヨドバシカメラ大阪・万博記念公園撮影会と9月23日(日)に開催される、京都・太陽が丘公園撮影会の講師とモデルの組み合わせをしました。
コンポジだけを頼りにする、組み合わせ結構大変で、午後いっぱい時間がかかりました。
写っている女性は、試用期間中のマネージャー候補です。
Nikonミラーレスを習って、ティザー画像です。(笑)
こんどの日曜19日はヨドバシカメラ北海道・開拓の村撮影会です。詳しくは
ココをクリック!今日の昼過ぎ、蝉の最後をみました。