いくつか、東日本大震災の象徴のようになっているものがありますが、その1つ、南三陸町防災対策庁舎の跡です。
それを取り巻く周囲、今年はこんなになっていました。
昨年までが、平地にポツンと建っていたのですが、今年は造成された高台に囲まれていました。
建物そのものが囲われていました。
色々片付けられていて、スッキリしていました。
造成された、台地が迫ってきています。
この南三陸町防災対策庁舎跡、後世に残すか残さないか問題になっていますが、今年の6月30日、南三陸町民のパブリックコメントの結果(保存賛成6割)及び町議会での請願(保存)の全会一致での採択もあり、南三陸町長は県有化を受け入れることを表明、防災対策庁舎は2031年まで宮城県が管理(保存)することになったようです。
囲われているのは、その影響でしょうか。
来年はどういうふうに変わっているのでしょうか?
震災のアイコンのようになっている「奇跡の一本松」とユースホステルも大きく変わりました。
後に、大きな堤防が・・・
岩手県から宮城県、福島県まで、計約600カ所、総延長400キロメートル最大高の箇所は15.5メートルの防潮堤が建設される事になっているのですが、その堤防が現れ始めました。
海の見えない「奇跡の一本松」なんて、味気ないなんて思ってはいけません。犠牲者の方に申し訳ありません。
JRバスの停留所です。その後には巨大な不思議な建物?が・・・ 山を削って人工台地を作るための土を運ぶベルトコンベアーに使う装置の1つです。
台地もだいぶできてきました。
今年初めて行った、岩手県・宮古市にあるレストラン異人館です。海が目の前に広がる素敵なレストランで、その海が、かの堤防で見えなくなってしまうとTVで放送していたのを見て、行ってみました。
残念ながら、今日からお休みでした。
この風景が異人館前の海です。
堤防の下準備の工事が始まっていました。来年も来てみようとおもいますが、風景は大きく変わっていると思います。
この1年で大きく変わったのが、ここ気仙沼の鹿折唐桑駅周辺です。
大きな漁船・第18共徳丸が打ち上げられていた場所です。
昨年は、道路の町側に壁のように人工台地がそびえていただけだったのですが・・・
見晴台からの風景です。
下からは見えない台地の上では、建築工事真っ最中でした。
来年には、この見晴台そのものが、無くなっている可能性大です。
5年前の2011年12月30日の鹿折唐桑駅付近の
確認はココからどうぞ。
今の被災地、復興道路と人工台地と巨大堤防の建設で沸いているようです。全ての工事が終わったとき、どんな街になるのでしょうか? 人口構成は? 日本は・・・
今回は、2日日間で1366kmはしり、平均時速は61km/h。燃費は10.7km/L。エンジンが回っていた時間は21時間18分と、車載コンピューターは記録していました。
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