土曜日は1日中MacBookの中のデーターを整理。
うとうとしていたら、ベッドサイドのTVからのニュース。
やはりというか、ついにというか・・・
世界の現実の1つに、組み込まれてしまいました。
かつてマルクスは「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである。」と書きました。
結婚式はキリスト教で行い葬式は仏教という、宗教に疎い日本人、そのなかでも私は特に宗教には疎いので、イスラム教やキリスト教の一神教の考えなど感覚的にわからない私にとって、宗教で殺し合う事など理解不能です。
マルクスが今の世界に生きていたら、どんなコメントを出すのでしょう。
画像は、この後も続き、御遺体も写っています。映像を生業とする者にとっても見にくい映像です。ご遺族の心痛を思い、ある種、無菌状態というか、オブラートに包まれたような日本社会では公開はできないでしょう。
次は、海外の日本の施設が襲われ、「痛恨の極み」から「テロとの戦い」「毅然」に比重が移りすぎないように願います。
個人的には、この後は、少しうがり過ぎ、過激な所もありますが、独特の見解をもった「よに倦む日日」が何を発言するか注目しています。
最後になりますが、改めて湯川さんとは何者だったのでしょう? そして、後藤健二さんのご冥福を祈ります。 合掌。
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