
この週末は、やはりこの「画像」を抜く事はできないでしょう。
この画像を、アナログに人生の半分以上浸かっていた私の世代にとって、「写真」と言って良いかどうかはわかりませんが、Net上の「見せる表現」について、いろいろ思いました。
1番思ったのは、「画像」の信憑性について、一般の人々も最近は頭から信じていないのだという事です。
古くは、ケネディー大統領暗殺犯と言われるオズワルドの写真のライフルの影の不自然さ、映画フォレストガンプで主人公が60年代のニュースフィルムにデジタル合成されて使われた映像等、良くも悪くも「意識」をして作り上げた画像の普及とともに「写真」の信憑性は、思っているより社会的には疑われているのだと、写真を生業としている者として、考えさせられました。

これは、先週、レタッチャーさんのブックから古い作品を何枚か抜き、後始末の為に破いたものです。
写真を破いたりシュレッダーにかけるなんて、心情的には嫌な事なのですが、その後の色々、コンプライアンスやガバナンス、あるいは「秘密保持」等、年々厳しくなっている諸々の為にはいたしかたがないのです。
こういう考えが、もっと徹底されると以前より、正史に対する俗史(こういう言葉があるかは確かではありません。)が残りにくくなるな〜 等と少し大げさに思ってしまいました。

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