今日はお休み。
ちょっと用事があり、外出の帰りに少し遠回りをして神楽坂を飯田橋方面から歩いてかえりました。
神楽坂は、子供の頃から歩いていた商店街。大正時代は新宿なんか比べものにならない位の盛り場だったといいます。
私の子供の頃の商店街は、花柳界の表通りというくらいの、静かな商店街でした。
それが、ここ15年程前から、何となく賑やかになり始めました。決定的だったのは「背景父上様」。嵐・二宮君の人気は凄く、ON AIR以後一気に観光地になりました。一方、料亭はどんどん少なくなりました。
神楽坂の名称は「坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれる。 また、「改撰江戸志」 (原本は残っておらず成立年代は不明だが文政以前にすでに存在が確認されている) には、津久戸明神が元和の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、」との切があるそうです。
子供の頃から来ていた神楽坂の由来、今日始めてしりました。
神楽坂のランドマークの一つ「毘沙門天」です。神楽坂に出た時は必ず毘沙門さまの前を通るのですが、詳しくは知りませんでした。
「江戸時代より『神楽坂の毘沙門さま』として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれた。 現在は山手七福神の一つに数えられている。毘沙門さまは、財宝を施す神として施財天ともいわれる。」のだそうです。
撮影中に目に飛び込んで来た階段の途中の左側のサングラスの女性。素人さんとはまるで違う雰囲気をもっていました。
毘沙門天正門をくぐり、左側に水かけ観音があるのですが、そこに、サングラスの女性が・・・
観光客の女の子達がはしゃいでいるのを、そっと待っていました。そして彼女らが去ったあと、静かにそして良い形で手を合わせていました。
そのあと、近くにいたピンクのジャケットを着ていた、やはり素人さんには見えない男性と、軽く手をにぎりながら、夕方の神楽坂に消えていきました。
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