3月11日です。あの日から2回め。忘れられない日です。
今日の写真は、以前掲載した写真です。撮影場所は、陸前高田の奇跡の一本松のそばのガソリンスタンド跡。このバックを見つけた時、フォトグラファーの私にとっては何とも表現のしようが無い思いがよぎりました。
ENJOY PHOTO LIFEのストラップ。このカメラが見続けた生活はどこに行ってしまったのでしょうか・・・
楽しい時も、悲しい時も、このカメラは見続けたのかもしれません。見続けた人達はどうしたのでしょうか・・・ そして自分もこんな泥だらけになって、もう動けなくなってしまいました。
ENJYOY PHOTO LIFE・・・ このミノルタαが発売された当時は、日本の社会にENJYOYがあったのです。少なくても、気持ちの余裕はあったのです。
2011年3月11日は、地震が起こっただけでは無く、日本のシステムの脆弱さが露呈した日といっていいと思います。原発の安全神話が崩れ、統治機能の不確かさが明らかになったっと思います。
被災地が世界が驚くほど平穏だったのは、日本人の「がまん」の国民性のおかげだけあり、社会のシステムや危機管理のシステムがうまく働いたわけではないように思います。
2011年、SONYが赤字になり、パナソニックが過去最大の赤字になり、シャープも大幅な赤字になりました。2011年の初めには中国のGDPが日本を抜き世界2位になったと発表されました。
2011年はエポックメーキングな年だったのです。
それから2年、今の日本の成すべき事は、表出した問題を地道に修正していくこです。それが次の発展の元になると思うのです。
尖閣問題もとても重要な問題です。でも、それと並行して問題の修正をして、原発や被災地の状況を改善していかないと、真に愛すべき日本にはならないのではないでしょうか。そうしないと、国内の矛盾を、日本たたきや、領土問題で国民の目からそらしているように思えてならない、どこぞの国と一緒になってしまうように思えます。
震災と震災関連で亡くなられた、全ての方々、安らかにお眠りください。
そして、原発事故で避難なさっている皆様、何とお声がけしていいかわかりません。希望だけは持ち続けてください、という当たり前で、少しむなしい言葉しかいえません。2年間も、そんな状況に置いておく方が悪いのです。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではいけないのです。
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