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今日は、66回目の敗戦記念日。朝の地下鉄はガラガラ。世の中夏休みの真っ最中です。
事務所で高校野球を「ながら見」をしていたら「全国戦没者追悼式」にTV中継が変わりました。

午後、高村規元APA・日本広告写真家協会会長のお宅に現白鳥APA会長と、事務局長と訪問しました。
そこで、66年前の「秘話」をお聞きしました。当時、高村さんは、父上の鋳金家高村豊周と長野に疎開していたそうです。そこに、某新聞社の記者が終戦の数日前に「日本の敗戦が決まったので、敗戦の詩をお願いしたい・・・」と来たそうです。記者は豊周と兄の光太郎を間違えて訪問して来たのでした。その事がわかると、真っ青になって終戦が発表されるまでは、内密にしてくれと頼んで、高村光太郎が疎開していた岩手県の花巻に向かったそうです。そして8月17日の朝日新聞に「一億の号泣」という詩が発表されたとの事でした。当時は、電話等の連絡手段も無く確認する術も無く訪問して来たとかで、電話、FAX、メール等々連絡手段が豊富な今では想像できません。
15時過ぎに原宿事務所着。今日も広告トラックが走り回っていました。
夜、NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 戦中編 果てしなき戦線拡大の悲劇」をみました。少し長いですが引用します。番組解説曰く「12月8日の真珠湾攻撃。その直後から、開戦を決めたと同じリーダーたちのトップ会議で、戦争をいかに終結に持ち込むかの方針模索の議論が始まった。しかし、そもそも無理を承知で始めた戦争。アメリカとの早期講和を狙うのか、長期持久戦でひたすら耐えるのか、首脳部の意志は割れて統一できない。結局、防御と戦線の際限ない拡大の両方を、陸海軍が各々バラバラに追求するという矛盾した決定に至る。この決定が日本の悲劇を一層深刻にしていくのである。資源や補給船は陸海バラバラに運用される一方、作戦情報も共有しないまま南方へ送られた兵士たちは次々倒れた。軍官僚たちは占領利権を争い、戦線拡大のエスカレートは止まらない。重大事に危機感を共有できず、統率力を発揮できない国家指導者の下で犠牲者は膨らんでいく…。」そして、問題は先送りにして、色々面倒くさい事は「想定外」にしてしまう。・・・ これって、今の政局、東電、官僚組織と全く同じでは・・・
310万人も戦没者をだしながら、大震災があった敗戦66年後のこの国の為政者は全く変わっていない・・・
この番組を見た方は、私と同じような思いを持たれた方が多かったと確信します。
何もしなければ、時間は無駄に流れていくだけです。
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