東京チャイナタウン   8月9日(土)  4904


今日の午後、所用の帰りに池袋駅北口で食事をしました。
餃子が食べたくなり、お店を探していたのですが、目的のお店は夕方からオープンとわかり、行き当たりバッタリで入ったのが「新珍味」という中華料理屋さん。
そもそも、池袋というのは、昔は立教大学と西武デパート以外は「アブナイ」街というのが、東京人のイメージなのです。(今は、地下鉄副都心線が開通して、住みたい街の上位になったようです。)
西武デパートの隣にあった丸物百貨店がPARCOに変わり、サンシャイン60ができ、東武デパートができ、東京メトロポリタン劇場ができ、最近では副都心線で横浜や渋谷、表参道と直結されても、積極的に行きたい繁華街ではないのです。
ましてや、北口となるとラブホやソープ、女装の男性がたっている、東京でもかなりディープな街のイメージが、ある年齢以上の東京人には染みついています。
また、お隣の東池袋には、1994年まで過激派中核派の拠点・前新社が周囲と隔絶された感で立っていて、そちらの方でも特別な街でした。(若い人や、ノンポリだった人には、なんの事かわからないと思います。)
私も、20年少し前に池袋北口のソープ街真っ直中にクライアントができて、そこに行くまで池袋北口には行ったこともなく、クライアントに行くにも、昼のソープ街の真っ直中、何度行っても緊張感を持って出かけた街でした。そのクライアントとの仕事も切れて20年程、それからは足を踏み入れた事がありませんでした。
それが、池袋駅北口周辺は、いつの頃からか東京のチャイナタウンと呼ばれる街になったのです。
最初に「へ〜」と思ったのは「池袋のオッチョコチョイ」と呼んでいたロケショーンアシスタント君が、自分の住んでいる池袋の話をしてくれた時でした。なんでも、彼の住んでいるアパートは日本人より外国の人の方が多く、それにまつわる面白い話をしてくれました。
そして、何年もたち、池袋駅北口周辺はマスコミでときどき東京のチャイナタウンと紹介されるようになりました。
なんでも、1980年代に新華僑と呼ばれる人達が集まりだしたようです。
2年前の日経ビジネスには「横浜中華街や神戸南京町は華やかな非日常のチャイナタウンだ。飾り気のない「日常の中国」に出会いたければ、池袋北口に行けばいい。ここには1980年代以降に来日した新華僑の経営する店が約200店舗もある。西口なども加えた池袋駅周辺全体ではその数は300とも400とも言われる。中華料理店だけでなく、食材・雑貨店、旅行代理店、不動産仲介店、美容院、保育園、自動車学校、インターネットカフェなど様々な種類の店や施設がある。池袋の中華街は中国人の日常生活を支える街である。」と紹介されています。私のクライアントが池袋北口にあった頃から、静かに中華街化は進んでいたのです。東京チャイナタウン   8月9日(土)  4904_b0069507_6193233.jpg
そんな街で、今日初めて食べた中華料理屋・新珍味の「北京ターロー麵」、有名な「桂花ラーメン」の太肉麺(ターローメン)とは全く違うものでした。そもそも「ターロー」の漢字が違い、私のPCでは変換できない漢字です。
大きな肉は入って無く、とろみのあるスープのなかに茹でた麵がはいっています。
ちょっと、ピリ辛で、お酢をたして、自分好みの味付けで、とてもおいしくいただきましたが、問題はニンニクです。
ピリ辛もニンニクの辛さなのでしょう。すり下ろした大量のニンニクが、はいっているのです。
今日は、昼ビール、昼ハイボールもしてしまったので、〆的に半ターロー麵を頼みましたが、次は誰とも会う予定が無い時に「半」ではない北京ターロー麵を楽しみたいと思います。

明日、作品撮りだけど、大丈夫かな〜 モデルさんごめんなさい。

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by mash_boss | 2014-08-10 08:00 | 日常生活 | Trackback | Comments(0)
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